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沿革

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創業は 1826年 二川 平吉は 平吉として3代に渡り、
平磯で漁業に従事していました。
 
前身会社は伊勢屋(屋号)又は伊勢屋清太郎、おかげさまでもうすぐ創業200年になります。伊勢屋漁業は当初二川清太郎個人として
茨城県那珂湊市平磯町(現、ひたちなか市)で漁船を所有し、清太郎という屋号で近海漁業に従事し、主にかつを、さば、マグロ、サンマ、サメなどを漁獲する漁船を所有し
獲った魚は平磯海岸に水揚、漁船はそのまま平磯あらはま海岸(現 クジラの大ちゃんの置いてある付近)に引き揚げ、そこから出漁していました。平磯は県内では有数の海水浴場として知られており、漁業と同じ様に海水浴場として栄えていました。当時の私社の漁業の様子の写真は残存していませんが、幸い当時海水浴客にお土産として売られていた絵葉書から、その資料を下記に記載しました。そこから当時1900年頃を偲んでいただければ幸いです。

   沿   革

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明治18年(1885年)の頃には、二川清太郎は平磯漁業協同組合(茨城県ひたちなか市平磯町 旧茨城県那珂湊市)の設立に励んでいました。

        明治43年(1910年)12月13日に表彰されました。 
           現存する最古の賞状です。
上の写真は、平磯漁業協同組合創立以来、率先指導したとして 故 二川清太郎は、明治43年(1910年)12月13日 茨城県沿海水産組合平磯支部支部長磯前勘三郎より功労賞として表彰されました。        
1885年当時、平磯の荒浜(現在の平磯海水浴場)に水揚し、荒浜海岸に引き揚げていた木造漁船を所有していたはずですが、残念ながら写真が見当たりません。(祖父 二川亀太郎より) 
幸い当時平磯は海水浴で栄えていて、客にお土産として売られていた平磯町の絵葉書があり、その資料を下記に記載しました。
デビ婦人の父(根本平吉)も1910年頃、ひたちなか市平磯町で船大工として働いていました。
二川亀太郎所有の漁船も同じような規模の漁船だったと予想できます。      
   撮影場所は現 平磯海岸海水浴場 くじらの大ちゃんの置いてある場所付近
上の写真は、1920年頃発売された平磯海岸(当時は平磯海岸が、港として使用していました)から
かつを漁に出漁する漁船(二川家の所有する伊勢丸かどうかは不明)の写真で、当時の船の大きさや出漁する船員さんの作業の様子が伺えます。

下の写真は1940年ごろからの所有漁船の一覧をまとめてみました。
(これ以前の映像や写真は見当たりません。ご了承下さい。)
 
   所  有  漁  船  一  覧
1940年当時の焼玉エンジン搭載の木造かつを・まぐろ漁船、左の写真中央と右の写真手前は二川清18才ころの写真 この写真が私社の現存する最古の漁船の写真です。撮影場所は那珂川の那珂湊大橋の600メートル下流 稲葉屋菓子店(ひたちなか市栄町)付近です。  
1940年当時の焼玉エンジン搭載の木造かつを・まぐろ漁船、私社の所有する那珂川に係留中の漁船と思われます。左の写真中央と右の写真手前は二川清18才ころの写真 この写真が現存する最古の私社所有漁船の写真です。
当時 二川 清太郎(亀太郎)は、木造漁船2隻所有してましたが 太平洋戦争中1隻を海軍に徴用船として没収され、鹿島灘沖で米軍の航空機と潜水艦の見張り役としての定点監視任務を命じられました。また、二川清は満州へ出兵となり、運よく終戦後まもなく無事帰還できました。漁船2隻は幸い撃沈は免れましたが、1隻は焼き玉エンジンの調子が悪く、漁船として使用できず、戦後は徴用船として接収された船舶の補償は一切なく、残りの木造漁船1隻からの漁業再開となりました。

      伊勢丸 木造漁船(上の写真)
     船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市  
     昭和10年(1935年)ころ
     造船所 ひたちなか市栄町2丁目3番33号(旧那珂湊市)田中造船所   
    
 
 
 

第一伊勢丸 那珂川に係留中  パソコン 手動取り込み操作
昭和30年(1955年)ごろ、那珂湊港の那珂川に係留中のかつを・まぐろ・さんま漁を行っていた当時の第1伊勢丸の写真です。当時は那珂湊地区には40隻位あり、第1伊勢丸の漁船乗組員は45名前後、漁獲屯数は40-50トン位。当時は冷凍設備もなく、砕氷を魚層に積んでの出漁でしたので、船体も重くなり船足も遅く、沖での漁には大変な苦労がありました。特にさんま漁は一晩中夜中の作業でしたので、時化と寒さと危険が伴う大変な仕事で、乗組員全員が寒さと戦いながらの辛い漁でした。
     第 1 伊勢丸 木造漁船(上の写真)
     84屯型(那珂湊図書館;昭和の修築史より)      
     船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市 
     昭和15年(1940年)(推定)---昭和32年(1957年)
     造船所 ひたちなか市栄町2丁目3番33号(旧那珂湊市)田中造船所 
     昭和30年1月から昭和32年 月まで 
     漁労長 磯前 菊太郎(旧 那珂湊市磯崎町)
 
 
 
 
さんま漁へ出漁する第2伊勢丸 那珂川の海上保安庁付近 対岸は大洗水族館あたり   

      第2伊勢丸 木造漁船(上の写真)
     船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市  
     昭和21年(1946年)---昭和29年(1954年)
     造船所 ひたちなか市栄町2丁目3番33号(旧那珂湊市)田中造船所
     昭和28年1月から昭和29年まで 
     漁労長 大内 三次郎(旧 那珂湊市平磯町)
     さんま漁では優秀な漁獲で、昭和26年から3年連続最高漁獲で表彰されました。 
 
 
 
岸壁にいる人で左は やい、中央の先が光夫、右が清、製氷を積んでこれから第2伊勢丸の出港です。後ろには、かつを、ビン長まぐろを釣る為の竹竿が立て掛けられ、帆も見受けられます。航海日数は10-20日位。漁場は小笠原--マリアナ海域。漁獲屯数はおおよそ30-90屯。那珂湊のドック 今のお魚センター付近 左に見える大きな鉄塔は製氷した氷を砕く機械、ここで砕氷した氷を船に積み込み出航です。一航海に氷50-200枚(5屯-20屯)使用しました(一枚50㌔位)ちなみに氷代は一枚250円

エンジンをかけて那珂湊港を出港です。エンジンの始動した音は、なかなかいいもんですよ。第2伊勢丸の航海安全と大漁を祈ります。 第2伊勢丸は、これから生き餌のイワシを積みに餌場(館山か網代か佐島(神奈川県))に向かい、現金で生き餌のイワシを買い、船の中の生簀にイワシを入れて、その後かつを、びん長まぐろ漁場に向かいます。(イワシ代は当時18万円位、燃料代15万円位)当時は那珂川の河口が漁船の出入り口でした。かつを、びん長まぐろの水揚げは焼津港と銚子港、那珂湊港、小名浜港が主です。
第2伊勢丸のさんま漁の出船の様子。8月末、さんま漁の解禁日となり一斉出漁です。那珂川の河口付近にて。さんま漁場が宮城県沖、福島県沖に移る10月頃から毎日、さんま船が那珂湊港に出入港し、水揚げするので、毎日多忙の日が11月末まで続きます。
     第2伊勢丸 木造漁船(上の写真)
     115屯型(那珂湊図書館:昭和の修築史より)
     船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市 
     昭和30年(1955年)7月吉日 進水     
     参考 キロ当たり魚価単価 バチマグロ 212円 トンボマグロ
(ビン長マグロ)143円 かつを41円 さんま9月中旬41円-9月末22円-10月初旬10円     
8月末の、さんま漁の解禁日から、11月末までの3ヶ月の間に 2000万円を超える水揚がありました。魚価がかなり安いにも関わらず、1000屯以上のさんまを漁獲しないと2000万円の水揚げは達成されず、サンマ漁は寒い夜に一睡もせず沖合の海上で波と揺れに命を懸けて寒さと戦いながらの作業は過酷であり、大変なご苦労があったとお聞きしております。    
昭和30年(1955年)---昭和35年(1960年)
     造船所 ひたちなか市栄町2丁目3番33号(旧那珂湊市)田中造船所
昭和29年8月末、那珂湊港(水揚げ場は、ひたちなか市栄町1-7 稲葉屋菓子店の60M北西)の那珂川(今の海上保安庁付近)から撮影したサンマ漁の出初め式の様子です。このように当時は40-50隻位が次々と出漁しました。第2伊勢丸115屯の漁船乗組員は50名 一晩で多い日にはサンマ40屯前後漁獲しました。            
昭和30年1月から昭和32年12月まで 
漁労長 大内 三次郎(旧 那珂湊市平磯町)
昭和33年1月から昭和35年12月まで      
漁労長 磯前 菊太郎(旧 那珂湊市磯崎町)
      
 

 
昭和29年9月11日、那珂湊港の那珂川からサンマ漁の出初め式の第1伊勢丸の見送りの様子です。当日は秋刀魚漁の解禁日で40-50隻位が一斉に次々と出漁しました。見送る家族と漁業関係者で岸壁は人盛り、8月末だったので夏休み中の子供たちも含めて約6-8000人くらいが、出船を見送りました。午前10時位から5-6分に1隻ずつ出漁し全船が出漁するまで3-4時間かかりました。主な新聞社も取材に来ていて、那珂湊の街の一代イベントです。さんま漁場が近くなる10月ごろは、那珂湊のサンマの水揚げは銚子と競い合い全国1-2位でした。サンマの水揚げ港は釧路、八戸、塩釜、石巻、小名浜と漁場が南下するに従って水揚げ港も替わりました。

 昭和29年9月11日、那珂湊港の那珂川からサンマ漁の出初め式の第1伊勢丸の見送りの様子です。当時は40-50隻位が一斉に次々と出漁しました。第2伊勢丸の漁船乗組員は50名 
サンマを多い日には一晩で40-50トン前後漁獲しました。  

       第1伊勢丸 木造漁船
     151屯型      
     船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市 
     昭和33年(1958年)から、推定昭和40年(1965年)
     造船所 ひたちなか市栄町2丁目3番33号(旧那珂湊市)田中造船所 
     昭和33年1月から昭和39年1月まで 
     漁労長 大内 三次郎(旧 那珂湊市平磯町)
昭和39年3月から 昭和41年2月まで、鰹鮪、サンマの漁業権付で、三重県志摩郡浜島 松尾忠三郎へ年間800万円で貸付する。      
 
参考までに昭和35年2月の決算報告書を見る 
 
   
 
 
第8伊勢丸 遠洋鮪延縄漁船 大分県臼杵市 株式会社臼杵鉄工所にて 一番左の写真 右から5人目は二川ちよ 三浦三崎港の花暮岸壁で、出航前の様子です。中央は二川ちよ その右は二川清二さん
             
           第8伊勢丸、当時は第8伊勢丸の写真は存在せず、事務所にはこの絵が飾ってありました。
           第八伊勢丸  289屯型 鋼製鮪延縄漁船 

船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市 進水 昭和35年(1960年) 月 日 
全長43.90M  長さ(垂線間)39M00 型幅7M50 型深3M60
満載吃水3M15 総屯水289T  主機械ディゼル650PS
魚艙容量345㎥ 燃料容量125㎥ 清水容量16㎥ 乗組員28P  航海速力10.5KN  
建造所 株式会社臼杵鉄工所(大分県臼杵市) 建造費(推定)5500万
上の左の写真は臼杵造船所での進水式の様子です。右の写真は昭和36年3月9日、燃料、餌、食糧、水をつみこんで、三浦三崎港の花暮岸壁から、西経漁場に向けて初出漁する直前の様子です。
この船は型幅7M50と1M狭く、荒天時でも、速力が出る船だったそうです。茨城籍では那珂湊の飯島漁業所・飯島丸に次いで三崎へのマグロ専業船進出は2社目だそうです。その後、三崎港を基地にする茨城籍の船舶も増えて昭和40年ころには15-6隻位に増えました。 
昭和36年3月から昭和44年1月まで 
漁労長 島山 鶴雄(徳島県牟岐町出身  神奈川県三浦市)

初航海は、35回操業でビン長マグロ、メバチマグロ、黄肌マグロ主体で満船220トン(1日平均6.2トン)水揚は航海日数95日で2500万の大漁でした。
初縄では初日に一日で15トンを漁獲。漁場は西経漁場 W125 N05-S10付近
昭和44年3月からは 昭和46年2月まで、東京都の大洋漁業(マルハ)へ2年間貸付しました。(インド洋へ出漁していました) 
 
 
 
       
第1伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り漁船  進水式:清水市三保造船所にて 第1伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り漁船
          第一伊勢丸 179屯型 鋼製 鰹鮪さんま兼業漁船 
船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市 進水 昭和40年(1965年)12月6日 
全長38M97 型幅6M35 型深3M10 乗組員48人最高速力11.93ノット航海速力10.30ノット 主機関 赤坂鉄工所710馬力 建造造船所 清水市 三保造船所 建造番号SNO561
建造費(推定)7000万
この船は私社が初めて導入した鋼製のかつをまぐろ漁船で、速力が出て安定度の高い、申し分のない漁船でした。
昭和41年1月から昭和43年12月まで (年間水揚金約4500万 鰹 ビン長マグロで水揚金2524万 秋刀魚漁で約2000万)
漁労長 根本 徳重(旧 那珂湊市平磯町)
昭和44年1月から昭和45年 月まで
漁労長 飛田 克己(旧 那珂湊市平磯町)
主漁場 春(鰹) パラオ マリアナ海域  夏(鰹 ビン長マグロ) 小笠原海域 
秋(さんま) 釧路沖(8-9月) 三陸沖(10月)那珂湊沖(10月中旬) 銚子沖(11月)  
冬 マリアナ(鰹)又は ミッドウェイ(ビン長マグロ)
 
  
 
   
清水市三保造船所にて 第2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り漁船
          第二伊勢丸 197屯型 鋼製 遠洋鰹鮪一本釣り漁船 
船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市 進水 昭和43年(1968年) 月 日 
しばらくお待ち下さい
全長 M97 型幅M35 型深M10 乗組員人最高速力.93ノット航海速力.30ノット 主機関 赤坂鉄工所馬力 建造造船所 清水市 三保造船所 建造番号SNO576
建造費(推定) 9000万
昭和43年 月から昭和45年 月まで (水揚金 鰹 ビン長マグロで3147万 さんま漁で約2000万 年間水揚金約5100万)

漁労長 昭和43年 月から昭和45年 月まで 根本 徳重(旧 那珂湊市)
主漁場 春(鰹) パラオ マリアナ海域  夏(鰹 ビン長マグロ) 小笠原海域
秋(さんま) 釧路沖(8-9月) 三陸沖(10月)那珂湊沖(10月中旬)銚子沖(11月)    
冬 マリアナ海域(鰹)又は ミッドウェイ(ビン長マグロ)
昭和45年ころ那珂湊の笹島漁業所へ根本徳重率いる乗組員毎、売却になりました。 
 
 
     
 
 
    写真が見つかるまで、しばらくお待ち下さい 
    第18伊勢丸 314.86屯 鋼製 鮪延縄漁船
    船主 二川 清太郎(亀太郎) 船籍港 茨城県那珂湊市
      進水 昭和43年11月13日(1968年)---
    建造造船所 三保造船所(清水市三保)建造費(推定)1億2000万円
    主機関(株)赤坂鉄工所ディーゼル 1000馬力
    冷凍能力マイナス48度 保管温度マイナス45度
冷凍凍結と防熱技術が向上し魚の品質が良くなり、水揚げ金が少しずつ上向いて来ました。  
    昭和44年月から昭和45年12月まで漁労長 島山 鶴雄
   (徳島県牟岐町出身  神奈川県三浦市)
    昭和46年1月から漁労長 小川 長彦
    昭和48年1月から漁労長 岡村 甲(北茨城市) 
(株)三保造船所へ昭和48年12月4日 1億2500万で売却となりました。 
 
 
 
   
 
          第二十一伊勢丸 鮪延縄漁船    
          第二十一伊勢丸 314屯型 鋼製 鮪延縄漁船 
船主 二川 清 船籍港 茨城県那珂湊市 進水 昭和45年(1970年)8月21日 
全長50M47 型幅8M30 型深3M70 乗組員22人最高速力12.44ノット航海速力11.00ノット 主機関 新潟鉄工所1000馬力 レーダー、方向探知機光電製作所 冷凍能力マイナス52度 保管温度マイナス50度 
建造造船所(株)金指造船所(清水市三保) 建造費(推定)1億8000万
昭和45年 月から昭和49年 月まで 
漁労長 島山 鶴雄(徳島県牟岐町出身  神奈川県三浦市)
昭和49年 月から昭和52年 月まで
漁労長 岡村 甲(茨城県北茨城市)
昭和53年 月から昭和54年3月まで
漁労長 今津 敏治(三浦市三崎) 
主漁場 主に ペルー沖 ペルー西経南(メバチマグロ 黄肌マグロ)
第二十三伊勢丸建造の為、6000万円で転売されました。 
     
 
 
          第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁船
           第十八伊勢丸 299屯型 鋼製 鮪延縄漁船 
船主 二川 清 船籍港 茨城県那珂湊市 進水 昭和49年(1974年)2月28日 
全長50M60 型幅8M50 型深3M45 乗組員20人最高速力12.28ノット航海速力11.40ノット 主機関 新潟鉄工所1000馬力 冷凍能力マイナス60度 保管温度マイナス52度 建造造船所 清水市 三保造船所 建造番号SNO969
この船は建造費用を抑える為に3社と協力し同型船4隻一括発注(18伊勢丸、8、18大浅丸、8飯島丸の4隻)し建造しました。4隻一括発注の際には、大浅漁業の片山幸男専務と飯島漁業所の社長、大塚正也氏のご協力を得ることが出来ました。尚、今振り返ると、この第十八伊勢丸は、我社にとって大変貢献した漁船だったと思います。
建造費(推定)2億2240万
昭和49年4月から昭和54年4月まで 
漁労長 漁労長 島山 鶴雄(徳島県牟岐町出身  神奈川県三浦市)
昭和54年4月から昭和56年12月まで(伊勢屋漁業は昭和55年4月から第18伊勢丸1隻の所有となりました。) 漁労長 今津 敏治(三浦市)

昭和55年4月から昭和56年12月まで 
主漁場 主に ペルー沖 ペルー西経南(メバチマグロ 黄肌マグロ)ハワイ北からロサンゼルス沖(メバチマグロ ビン長マグロ))ペルー領海内(メバチマグロ)
のち石川県能都の水産会社へ推定5000万円で転売されました。 
(イカ釣り船として)

   

          第23伊勢丸 遠洋鮪延縄漁船 これが建造した最後の漁船です。
上の写真は三保造船所から引き渡し式を終え神奈川県三崎港へ向けて航行中の写真です。
二川 清と猛も乗船していました。
           第二十三伊勢丸 314屯型 鋼製 鮪延縄漁船 
船主 二川 清 船籍港 茨城県那珂湊市 進水 昭和53年(1977年)11月17日 
全長51M50 型幅8M60 型深3M60 乗組員20人最高速力13.04ノット航海速力11.30ノット 主機関 赤坂鉄工所1200馬力 冷凍能力マイナス62度 保管温度マイナス52度建造造船所 清水市 三保造船所 建造番号SN1110 同型船58長功丸(気仙沼市)
建造費 3億5500万
昭和54年3月から昭和54年12月まで 
漁労長 漁労長 島山 鶴雄(徳島県牟岐町出身  神奈川県三浦市)
主漁場 主に ペルー沖からイースター島の北500キロ海域(メバチマグロ 黄肌マグロ)   
2航海後、三浦市白石町の半次郎丸漁業生産組合へ推定2億7000万円で売却となりました。 
  
 
  

    表   彰   状   
(ひたちなか市平磯町の私社所有の大谷石づくりの漁網漁具倉庫に(昭和25年1950年に完成)に保管されていた表彰状、感謝状は以下の通りです。)
故 二川清太郎 明治18年(1885年)漁業協同組合創立以来、率先指導 功労賞として表彰  
明治43年(1910年)12月13日 茨城県沿海水産組合平磯支部支部長 磯前勘三郎     
  戦後まもなく銚子ー鹿島灘沖で鮫(サメ)延縄漁業を行ってたと聞きました。  昭和24年ごろから秋刀魚漁の全盛期に突入しました。 
現存する最古の表彰状です。戦後まもなくの操業再開で燃料の重油が手に入らず、出漁準備には大変苦労したと聞きました。昭和24年ごろから秋刀魚漁の全盛期に突入、漁労長は大内三治郎(平磯町)
  伊勢丸 鮫(サメ)延縄漁業 県下最高の出荷 昭和21年度 茨城県水産業会長 宮原庄助
  伊勢丸  さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和26年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
  伊勢丸  さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和26年度 茨城県漁業協同組合連合会
  伊勢丸  さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和27年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和28年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和26年度以降3年連続最高漁獲 
                茨城県漁業協同組合連合会会長 宇佐美松兵衛
第 1 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 最高漁獲   昭和30年度 那珂湊市漁業協同組合連合会
第 1 伊勢丸 さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和30年度 茨城県漁業協同組合連合会
第 1 伊勢丸 さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和30年度 茨城県知事 友永洋治
第 1 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和30年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合   
第 1 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和30年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職二番漁  昭和30年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職五番漁  昭和30年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職二番漁  昭和30年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職二番漁  昭和31年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 1 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職四番漁  昭和31年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 敢闘旗    昭和31年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職三番漁  昭和31年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 優 良    昭和31年度 那珂湊市漁業協同組合連合会
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職二番漁  昭和32年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職三番漁  昭和32年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 1 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職五番漁  昭和32年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 県下最高漁獲 昭和32年度 茨城県漁業協同組合連合会
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和32年度 茨城県知事 友永洋治
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 最高漁獲   昭和32年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 鰹鮪さんま漁業  三職一番   昭和32年度 茨城県漁業協同組合連合    
第 2 伊勢丸 鰹鮪さんま漁業  最高水揚   昭和32年度 茨城県漁業協同組合連合    
第 2 伊勢丸 鰹鮪さんま漁業  最高水揚   昭和32年度 茨城県知事 友末洋治
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 最高漁獲   昭和32年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合    
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職五番漁  昭和33年度 茨城県平磯漁業協同組合  
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職五番漁  昭和33年度 那珂湊市長 宮原庄助    
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職四番漁  昭和33年度 那珂湊市長 宮原庄助  
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 漁獲良好   昭和33年度 小名浜機船底曳網漁業協同組合 
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和33年度 那珂湊市長 宮原庄助    
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和33年度 茨城県知事 木村凡夫
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和33年度 茨城県平磯漁業協同組合     
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和33年度 茨城県漁業協同組合連合     
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職三番漁  昭和33年度 那珂湊市長 宮原庄助  
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職三番漁  昭和34年度 那珂湊市長 宮原庄助    
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職三番漁  昭和34年度 茨城県平磯漁業協同組合  
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職三番漁  昭和34年度 那珂湊市長 宮原庄助    
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職四番漁  昭和34年度 茨城県平磯漁業協同組合    
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職四番漁  昭和34年度 那珂湊市長 宮原庄助  
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和34年度 茨城県知事 岩上二郎
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 最高漁獲   昭和34年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和34年度 茨城県平磯漁業協同組合  
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和34年度 那珂湊市長 宮原庄助
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職一番漁  昭和34年度 那珂湊市漁業協同組合連合会
第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職二番漁  昭和34年度 那珂湊市長 宮原庄助  
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職三番漁  昭和34年度 茨城県平磯漁業協同組合  
参考までに昭和35年2月の決算報告書を見る
第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職五番漁  昭和35年度 那珂湊市長 宮原庄助   
   伊勢丸 遠洋鰹鮪大型船  春職一番漁  昭和35年度 那珂湊市長 宮原庄助    
   伊勢丸 鮪延縄漁業    春職最高漁獲 昭和35年度 那珂湊市漁業協同組合連合会 
   伊勢丸 鰹鮪延縄漁業   春職最高漁獲 昭和35年度 茨城県知事 岩上二郎    
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職二番漁  昭和35年度 那珂湊市長 宮原庄助   
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 塩釜三番漁  昭和35年度 宮城県塩釜魚市場社長 鈴木忠助
   伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 県下最高漁獲 昭和36年度 茨城県漁業協同組合連合会  
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職二番漁  昭和36年度 茨城県平磯漁業協同組合
   伊勢丸 さんま漁業    優 秀    昭和36年度 宮城県塩釜市長 桜井辰治
   伊勢丸 鰹鮪漁業     夏職二番漁  昭和36年度 那珂湊市長 宮原庄助
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職二番漁  昭和36年度 那珂湊市長 宮原庄助
   伊勢丸 鰹一本釣り    春職二番漁  昭和36年度 茨城県平磯漁業協同組合   
   伊勢丸 鰹一本釣漁業   夏職二番漁  昭和37年度 那珂湊市長 宮原庄助
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職三番漁  昭和37年度 茨城県平磯漁業協同組合   
   伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職三番漁  昭和37年度 那珂湊市長 宮原庄助      
   伊勢丸 かつおまぐろ漁業 二番漁    昭和37年度 那珂湊市漁業協同組合連合会
   伊勢丸 かつおまぐろ漁業 二番漁    昭和37年度 那珂湊市長 宮原庄助
   伊勢丸 鰹一本釣り漁業  二番漁    昭和37年度 茨城県平磯漁業協同組合
この年から遠洋鮪延縄漁船第 8 伊勢丸を建造し所有船は2隻となりました。
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優秀     昭和37年度 茨城県平磯漁業協同組合   
第 8 伊勢丸 遠洋まぐろ漁業  年間優秀   昭和37年度 那珂湊市長 宮原庄助
   伊勢丸 かつおまぐろ漁業 五番漁    昭和37年度 茨城県平磯漁業協同組合   
第 2 伊勢丸 鰹鮪一本釣り漁業 五番漁    昭和39年度 那珂湊市長 那珂湊市長薄井与兵衛
第 2 伊勢丸 鰹鮪釣り漁業   四番漁    昭和39年度 那珂湊市長 薄井与兵衛
第 2 伊勢丸 鰹鮪釣り漁業   五番漁    昭和39年度 那珂湊市漁業協同組合連合会
   伊勢丸 さんま漁業    三番漁    昭和40年度 茨城県平磯漁業協同組合 
   伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  二番漁    昭和40年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 8 伊勢丸 鮪専業漁業    最高漁獲   昭和40年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和40年度 茨城県漁業協同組合連合会
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和40年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和40年度 茨城県農林水産部長 染野 敏
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優秀漁獲   昭和40年度 那珂湊市長 薄井与兵衛  
   伊勢丸 鰹釣り漁業    三番漁    昭和40年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和41年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 1 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職五番漁  昭和41年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 1 伊勢丸 かつお一本釣漁業 夏職二番漁  昭和41年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 1 伊勢丸 かつお一本釣漁業 夏職二番漁  昭和41年度 那珂湊市長 薄井与兵衛  
第 1 伊勢丸 さんま棒受網漁業 秋職五番漁  昭和41年度 茨城県平磯漁業協同組合
第 1 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 優 秀    昭和41年度 小名浜漁業協同組合
第 1 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職最高成績 昭和42年度 那珂湊市漁業協同組合連合会
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和42年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和42年度 茨城県平磯漁業協同組合  
第8 伊勢丸 鮪延縄漁業    最高漁獲   昭和42年度 茨城県農林水産部長 田口正信  
第 1伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職一番漁  昭和42年度 茨城県平磯漁業協同組合  
第 1伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職一番漁  昭和42年度 那珂湊市長 薄井与兵衛  
第 8 伊勢丸 鮪専業      一番漁    昭和42年度 那珂湊市長 薄井与兵衛  
第 1伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職最高漁獲 昭和42年度 茨城県農林水産部長 田口正信  
この年から遠洋鰹鮪一本釣り漁船第 2伊勢丸を建造し所有船は3隻となりました。
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 春職二番漁  昭和44年度 茨城県平磯漁業協同組合  
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職一番漁  昭和45年度 茨城県平磯漁業協同組合  
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職一番漁  昭和45年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合  
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職一番漁  昭和45年度 那珂湊市長 薄井与兵衛  
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職最高漁獲 昭和45年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合  
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 最高漁獲   昭和45年度 那珂湊市漁業協同組合連合会  
第 2伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 夏職最高漁獲 昭和45年度 茨城県農林水産部長 坂口 順  

昭和44年(1969年)のころは、第 1伊勢丸、第 2伊勢丸、第 18伊勢丸の3隻を所有経営していましたが、昭和45年、那珂湊港を基地とした遠洋鰹鮪一本釣り漁船の第 1伊勢丸、第 2伊勢丸は売却、かつを一本釣り漁業から撤退し、第21伊勢丸(遠洋鮪延縄漁船)を新たに建造し遠洋鮪延縄漁業へ業種転換しました。所有船は第 18伊勢丸(遠洋鮪延縄漁船)と第 21伊勢丸の2隻となりました。遠洋鮪延縄船は神奈川県三浦市三崎港を基地にして、出入港、水揚げは主に三浦三崎港です。

第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和45年度 那珂湊市長 薄井与兵衛
第18伊勢丸 鮪専業船     最高漁獲   昭和45年度 茨城県農林水産部長 坂口 順
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和45年度 茨城県平磯漁業協同組合  
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 秀    昭和46年度 神奈川県知事 津田文吾
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 秀    昭和46年度 三浦市長 木村 昭
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和46年度 茨城県漁業協同組合連合会
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和46年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 秀    昭和46年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和46年度 那珂湊市長 薄井 三郎
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和46年度 茨城県農林水産部長 坂口 順
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和47年度 那珂湊市長 薄井 三郎
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和47年度 茨城県平磯漁業協同組合 
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  成績優秀   昭和48年度 三浦市長 木村 昭
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 秀    昭和48年度 神奈川県知事 津田文吾
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  成績優秀   昭和48年度 三浦市長 木村 昭
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 勝    昭和48年度 三崎魚類(株)
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和48年度 茨城県農林水産部長 古谷 裕
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和48年度 茨城県平磯漁業協同組合
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和48年度 那珂湊市長 薄井 三郎
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和48年度 茨城県漁業協同組合連合会 小幡
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和48年度 茨城県農林水産部長 坂口 順
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  敢闘賞    昭和49年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和49年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合    
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和49年度 茨城県平磯漁業協同組合  
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和49年度 那珂湊市長 薄井 三郎  
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和49年度 茨城県農林水産部長 古谷 裕  
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  成績優良   昭和49年度 三浦市長 木村 昭  
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和50年度 茨城県農林水産部長 古谷 裕  
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和50年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合  
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和50年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和50年度 那珂湊市長 薄井 三郎
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和50年度 茨城県漁業協同組合連合会 三代
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  二番漁    昭和51年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  二番漁    昭和52年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  三番漁    昭和52年度 三浦市長 野上義一
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和52年度 茨城県平磯漁業協同組合
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和52年度 茨城県平磯漁業協同組合
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和53年度 三浦市長 野上義一
第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和53年度 神奈川県知事 長洲一二
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 秀    昭和54年度 三浦市長 野上義一
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和54年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和54年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和54年度 茨城県漁業協同組合連合会
第23伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和55年度 茨城県平磯漁業協同組合
第23伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和55年度 茨城県鰹鮪漁業協同組合
第23伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和55年度 茨城県漁業協同組合連合会
第23伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  優 秀    昭和55年度 三浦市長 野上義一
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  一番漁    昭和56年度 茨城県平磯漁業協同組合
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和56年度 茨城県漁業協同組合連合会
第18伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  最高漁獲   昭和57年3月5日 茨城県鰹鮪漁業協同組合
                船主 二川 清    漁労長 今津 敏治(三浦市三崎) 
画像の説明 画像の説明
  漁労長 島山 鶴雄(三浦市三崎)   漁労長 今津 敏治(三浦市三崎) 
 
昭和57年 
 
  トロフィ受賞
      画像の説明
       平磯漁業協同組合から受賞したトロフィです。
       左 第2伊勢丸  中央 第2伊勢丸  右 第18伊勢丸
昭和44年度春職二番漁 昭和45年度夏職一番漁 昭和45年度鮪延縄漁業一番漁

  その他

ビーズ灯篭の木箱 ビーズ灯篭
明治31稔(1898年)灯籠入箱 初8月 日 と書かれた木箱と ビーズで編んだ灯篭 ガラスの内側には、小さいランプが入ってました。
今から約120年前です。(2018年現在) 
 
家紋いり重箱の木箱 家紋いり重箱
明治30歳(1897年)酉10月 伊勢屋清太郎 これを造る と書かれた木箱
今から約121年前です。(2018年現在)右は家紋いり重箱 家紋は抱き茗荷谷(みようが)です。 
          屋号の 伊勢屋清太郎と彫られた、版木(はんぎ 右)
屋号の 伊勢屋清太郎と彫られた、版木(はんぎ 右)とその印刷物(左)
200年以上漁業を経営していた一時期、漁業の合間に副職として、かつを節の製造をしていた時に、使用した版木です。
版木には、右側に屋号の 伊勢屋清太郎 中央上に 屋印 本極上夏涸鰹節(なつがれ)左側に 正味十貫目 背腹 (何)本入 
この当時の屋号は、伊勢屋清太郎  円い木樽に十貫(約40キログラム)の かつを節を入れて、蓋にこの版木で押印し、鰹節の販売に使用していました。
屋印 ノキ はこの頃にも使っていたらしく、鰹節の製造販売は、昭和30年(1955年)ごろまで、漁業の合間に、夏のかつを漁の時期だけ、わずかに営んでいたいました。当時は冷凍設備がなく、那珂湊地区では、余ったかつをは、水産加工業者の他に、漁業者も鰹節造りをしていて夏のお盆の時期や地元の特産品として、僅かですが売っていました。平磯の自宅の浴室の手前(現在の食堂)には、かつをを茹でる大きな釜が有り、そこで加工し、茹で上がった鰹節は、裏の空地で天日に干して乾かし整形してから、穀蔵でカビ付けし、保管、天日で干し、保管を繰り返して製造していました。その鰹節の商いに使用したのがこの版木です。また、屋印はその後、昭和45年(1970年)ごろまで、魚を入れる竹製の籠(のち 黄色のプラスチック製)の側面にも使われていました。この籠は通称ボディと言って、かつをや秋刀魚をボディに入れて市場でセリに競ける時に、使用しました。当時はこの竹製のボディが、自宅の裏の倉庫に200個位、山積みになっていたのを覚えています。が、本業はやはり漁業経営でした。  猛

船名入りの徳利と御猪口画 徳利の裏側
第1伊勢丸、第2伊勢丸の船名入りの徳利と杯。昭和30年(1955年)頃、正にさんま漁の全盛期時代の頃、進水式や船のお祝いのある毎に使用しました。徳利と杯は当時7-80個位ありましたが、現存する徳利と杯はこれだけです。  
二川清太郎愛用の鞄 鞄内部
二川清太郎愛用の鞄。昭和30年(1955年)頃まで、使用していました。
      昭和56年度最高漁獲で三浦市三崎魚市場(三崎魚類(株))から贈呈された陶彩画
第18伊勢丸(漁労長:今津敏治 三浦市)が昭和56年度最高漁獲(漁場:ペルー領海内で、良質の油の乗ったメバチまぐろを230トン漁獲)で三浦市三崎魚市場の三崎魚類(株)(丸魚)から贈呈された陶彩画 
 
  
  表彰状 感謝状

故 二川清太郎 明治18年漁業協同組合創立以来、率先指導 功労賞として表彰  
      明治43年12月13日 茨城県沿海水産組合平磯支部支部長 磯前勘三郎     

二川清太郎 本県水産振興に多大な功績 昭和24年度平和茨城建設最優秀者 
      昭和25年5月3日 茨城県知事 友永洋治     

二川清太郎 全国協同組合役職員の模範として表彰  
      昭和29年3月5日 全国漁業協同組合連合会会長理事 木下辰雄     

二川清太郎 茨城県社会事業共同募金 金壱千円寄付 
      昭和30年1月21日 内閣総理大臣官房賞勳部長 村田八千穂

二川清太郎 平磯組合専務理事の功績賞 昭和31年4月25日

第 2 伊勢丸 さんま棒受網漁業 静神社石灯籠建設 昭和32年2月2日 神社本聴統理 鷹司信輔

二川  清 那珂湊市消防団第十分団勤続十年以上勤続賞 昭和34年1月6日那珂湊市長宮原庄助  
二川清太郎 最高の利用実績に貢献して表彰  
      昭和36年2月19日 茨城県漁業協同組合連合会会長 宇佐美松兵衛     

二川清太郎 最高の利用実績に貢献して表彰  
      昭和38年3月26日 茨城県漁業協同組合連合会会長 宇佐美松兵衛     

二川清太郎 他港水揚金の高率統計送金し金融の確率に貢献して表彰  
      昭和41年8月16日 茨城県信用漁業協同組合連合会会長理事 出沼浅吉     

第 2 伊勢丸 遠洋鰹鮪一本釣り 3年間無事故  昭和42年5月10日
               日本鰹鮪漁船保険組合 浜地 文平

第 8 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  3年間無事故  昭和42年5月10日
               日本鰹鮪漁船保険組合 浜地 文平

第 18 伊勢丸 遠洋鮪延縄漁業  3年間無事故  昭和42年5月10日
               日本鰹鮪漁船保険組合 増田正一

二川清太郎 船員保険運営に貢献して表彰  
      昭和44年10月26日 茨城県民生部保険課長 松尾二郎     

二川 清  功労の模範として表彰      昭和47年12月4日 
               日本水難救済会茨城支部長 大内福次郎

第21伊勢丸 遠洋鮪延縄漁船  3年間無事故  昭和50年5月6日
               日本鰹鮪漁船保険組合 増田正一

二川 清  系統信用事業の発展に貢献 昭和57年10月21日  
               茨城県信用漁業協同組合連合会会長理事 出沼浅吉

二川 清  漁業無線の発展に貢献 昭和58年6月23日  
               社団法人全国無線協会 関東支部連合会会長 宇田川勝次

   伊勢丸の乗組員の皆さま、関係者の皆さま、有難うございました。

   作成 2018年平成30年6月4日
 
 
 
 

平成20年(2008年)8月23日ひたちなか市平磯町1344番地から、本社を水戸市白梅3-10-5-207へ移転、社名を(有)伊勢屋漁業から(有)水戸ネットハウジングへ変更しました。

 
 
 
 
          コーラルマンション賃貸 全室南向き、左から4階は406,405,403,402号室が1DK、右端が401号室の2LDKです。 
          コーラルマンション(新耐震基準適合)
          所在地  水戸市白梅4-1-18
          構造 鉄筋コンクリート造4階建 (新耐震基準適合)
          賃貸マンション 1DK16戸 2LDK3戸(全戸南向き)
          築年月 1984年3月  
          建築主 有限会社 伊勢屋漁業
         (現在 有限会社水戸ネットハウジング)
          設計 戸頃建築設計事務所(水戸市松ヶ丘1-2-23)
          施工(株)大成建設(水戸市大町3-1-15)
          遠洋まぐろ漁業会社からの事業転換です。
 
 
  
  
          コーラルトップ1DK賃貸マンション南側全景 左から3階は307,308,310,311号室です。南向きの30㎡のお部屋はここです。 
          コーラルトップ(新耐震基準適合)
          所在地  水戸市白梅3-10-5
          構造 鉄筋コンクリート造5階建て (新耐震基準適合)
          賃貸マンション 1DK 35戸(16戸南向き19戸東向き)
          築年月 1987年3月  
          建築主 二川 清
          設計 戸頃建築設計事務所(水戸市松ヶ丘1-2-23)
          施工 大久保建設(水戸市柳町2−4−17)             
  
 
平成  年(200 年)8月23日 水戸市白梅3-11-6
駐車場として土地取得 

 
  
 
個人の部
 
 
       画像の説明
二川 清 1974-75ロータリークラブ会長  1992.6.30  那珂湊ロータリークラブ
 
       画像の説明
二川 やい 米寿のお祝い 褒状 
      平成25年9月16日 ひたちなか市長 本間 源基

ゴルフ優勝カップ 二川 清 優勝記念
   ゴルフ優勝カップ 二川 清 優勝記念
   左 大洗ゴルフクラブ   中央 優勝  右 記載なし
   Bクラシック優勝1970年 平磯常陽会S61年度

ゴルフブロンズ像 二川 清 優勝記念
   ブロンズ像 二川 清 優勝記念
   左 優勝           右 優勝
   水友会 S60.3.17     第8回水友会 S59.6.24
   於:勝田パブリックG.C   於:勝田P.G.C

 

地球儀    三浦市三崎 カネダイ湊魚問屋

アルマジロ 
1970年ごろ 島山 鶴雄 漁労長
ペルーリマ港の土産

絵画(上高地?)
1960年ごろ
       
       以上 2018.7.14 二 川  猛(ふたがわ たけし)

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